【ええ感じの本】失敗の科学 「失敗との向き合い方がすべてを決める」
失敗の科学 マシュー・サイド氏
これ、ええ感じの本です。
kindle版と紙の本を両方とも持ってますよ。もちろん読む用と読む用です。
ちなみに、2021年12月現在、Kindle Unlimitedで実質無料で読めるようになってますね。
なんと、Kindle Unlimited で「失敗の科学」が読めるようになってました。
— エイチマン(FXアウトプット) (@Hman_fx) 2021年12月27日
私はこれを読んで、自分の失敗トレードとも少しは向き合えるようになりました。https://t.co/ml2CuoeXKn pic.twitter.com/AcnhdJGMgi
チャートはラボ(研究室)である
「チャートはラボ(研究室)である」と尊敬するトレーダーのマヨハレさんもおっしゃっていますが、本当にその通りだと思います。
一見して、ランダムで何の再現性もなく思える値動きですが、勉強していくうちに確かに優位性を感じる場面が増えてきました。
トレードに限らず、失敗や思い通りいかないという事はいつでも起こりますが、それを失敗と考えるか、良いデータが取れたと考えるかで大きな差になることは言うまでもないと思います。
この記事を書いている時点で、わたしも一回一回のトレードで一喜一憂することはまだあります。
しかし、毎日環境認識を行い、シナリオを立ててアウトプットをする習慣をつけることで、トレードに対しての考え方が変わっていきました。
アウトプットの習慣ができるまでは、まさにカジノのようにふるまっていました。
私にとってマーケットは、研究室ではなくカジノだったのです。
なんということでしょう。
トレード結果を損得としてしか把握できていませんでした。
勝てば成功、負ければ失敗というようにして片づけたり、感情的になって終わってしまいました。
負け=失敗と考えている限り、そこには損失と後悔だけが残るのかもしれません。
しかし、データとして考えることができるようになれば、失敗から学び成長していくことにつながるはずですね。
この本は失敗というものについて根底から考え方を変えてくれる本だと思います。
私がこの本で最も大きな学びを得た点を、強いて挙げるなら以下の3つです。
1.失敗というものについての認識が大きく変わった。
「失敗なくして成功なし」「失敗は成功の母」みたいな言葉は1000回以上は聞いてきているとは思いますが、実際にそれを腑に落として、自分の生活や習慣に取り入れている人はどれくらいいるのでしょうか。
「失敗から学ぶのが大切さ~」と知っていたとしても
実際に自分が失敗すれば、痛みが伴います。
リアルな生体反応としての痛み苦しみです。
損切りした時には、誰かに殴られたわけではないのにもかかわらず、その痛みは本物の痛みの感覚として、生体反応として表れているはずです。
胃がギュッとしたり、むかむかしたり、呼吸が浅くなって若干息苦しさを覚えたり、、、その痛みは本物の痛みと同じ反応ではないでしょうか。
意識を体に向けて感じてみればわかります。
よほどのマゾでもない限り、「失敗=リアルな苦しみ」として心身に刻まれるのだと思います。
そして失敗を回避するか、もしくは考えないようにする(なかったことにする)のが一般的かもしれません。
誰だって、こんな痛みはさっさと忘れて、気晴らしに出かけたいのです。
しかし、失敗と向き合うためには、「自分が間違っていたかもしれない」とか「失敗したんだ」と自ら認めることが必要です。
失敗するのは誰だっていやです。
自分のミスや足りない点と向き合わなければいけないからです。
ただ向き合って終わりでもいけません。
「失敗しました!私が悪うございました!」といってそれっきり終わっているケースを見たことがないでしょうか?
これは一見して、潔く失敗を認めているように見えますが、開き直っているだけのようにも見えます。
なぜ失敗したのか?そのミスは想定内のミスだったのか?
どのような仮説をもってその行動が行われたのか?
何を規準としてもっていて、どう考えていたのか?どんな外的要因要因があったのか?
どうすれば、そのミスを防げたのか?また、損失を小さくすることができたのか?
これからどのようにしてそのミスを生かすのか?
1つの失敗を、「さーせんした。失敗でしたわ」と片付けるのは簡単ですが、
その1つの失敗こそ掘り下げて、多角的に分析することで、生のデータとして生かせるのだと思います。
「クローズド・ループ」という言葉を知っていますか?
「クローズド・ループ」とは、失敗や欠陥に関わる情報が放置されたり曲解されたりして、進歩につながらない状態を指す。逆に「オープン・ループ」では、失敗は適切に対処され、学習の機会や進化がもたらされる。
クローズドループが起こりやすい、環境や組織では「ミスは無能の証」「ミスは恥ずべきこと」という暗黙の共通認識があるそうです。
安全や人に命に係わる職種に多いのだとか。
「もし、ミスをしたら非難の的になる」、「ミスを犯したらとんでもないことが起きる」という組織風土のことですね。
そのような環境では、失敗を恐れてだれもチャレンジしなくなるし、失敗は悪であると考えられるとおもいます。
何よりも保身が優先されます。事なかれ主義。
失敗をなんとかごまかして、失敗ではない形にして片づけるということが起きやすそうです。
トレードに置き換えてみるとどうでしょうか。
「クローズド・ループは個人に対しても働くのではないか」というのが、私の解釈です。
つまり、個人トレーダーの場合には、その人が「失敗に対してどのようなイメージや観念を持っているか」が重要だと思います。
無意識に、「失敗=ダメなこと」「失敗=損失」「失敗=無能トレーダーの証拠」という信念を持っていれば、失敗が苦痛を伴うのはあたりまえです。
観念や信念は、無意識の領域に近い気がします。
なので、「失敗をなかったことにして、気が付けばまた同じ失敗ばかり」というのは意外と根が深い問題なのかもしれませんね。
口では、「失敗から学ぼうぜ」「またいい失敗ができた!」と言ってみても、、、
そこから学ばず、また同じ失敗を繰り返す・・・・
なぜそうなるのか。ではどうすればいいのか・・・。
2,失敗することが正解にたどり着く唯一の方法
「失敗することが、早く正解にたどり着く優位つの方法である」ということの実例を示すクイズがあります。
たとえば、「2,4,6」という数字が並んでいて、「この数字がどんなルールで並んでいるか?」を答えるクイズがあったとします。
回答者は「この2,4,6と同じルールで並んでいると思う3つの数字を好きなだけ答えて良い」というルールです。
回答者が思う3つの数字を訪ねれば、その数字がルールに合致すれば出題者から「yes」と答えられ、合致しない数字であれば「no」という答えが返ってきます。
ぱっと考えられるのは、「偶数が小さい順に並んでいる」「3番目の数字は、前の数字2つを足したものだ」ということでしょうか。
もし「偶数が小さい順に並んでいるのがルールなのではないか!!」と思ったならば、「10,12,14」とか「100,200,300」と答えてみてる。
すると3回くらい試して「yse」という答えが返ってきた場合。
その人は答えは「偶数が小さい順に並んでいる」という確証を持つのではないでしょうか。
「間違いない!偶数が小さい順番に並んでいる!だって、いくつ試してもYESが返ってきたから!」と思うでしょう。
しかし、答えがもし「単純に数字が小さな順番に並んでいる」だった場合、偶数かどうかは関係ありませんので不正解となります。
この場合、回答者は敢えて間違うことが必要だったのです。
間違えるつもりで「1,3,5は?」と尋ねていれば、答えは「yes(合致する)」と返ってきてくるので、ここで「え、それも合致するのならば、私の仮説が間違えているな」と気づくことができます。「偶数じゃなくてもよくね?」という具合に。
さらに、今度は「単純に数字が小さい順番に並んでいる」という仮説を立てたのならば、「5,3,11」という自分の仮説から外れているものを敢えて質問してみます。
このようにして、あえて間違いに行くことで正解に早くたどり着くことができます。
この実験を担当した学者のポール・シューメーカー氏は
間違った仮説から抜け出す唯一の方法は、失敗をすることだ。ただ、こんなものは失敗でもなんでもなく、日常茶飯事とすら言える。失敗をすることは、正解を導き出すのに一番手っ取り早い方法というばかりではなく、今回のように唯一の方法であることも珍しくない。
と仰っています。
この辺のことを、トレードに置き換えてみるとどうでしょうか?
もし、自分がきちんと根拠をもってトレードしたとしても、損失が出てしまう事がありますよね。
そんなときは、チャートがおかしいのでしょうか。誰かが陰謀を企てたのでしょうか。
もしトレードにおいて失敗があったときには、「アンタ、そこ違うで!」というフィードバックをもらえていることになるのだと思います。(思うようにしています)
しかし、「どこがどう違っているのか?」は教えてくれませんので、自分で考えいといけないし、その為には一貫した基準が必要も思います。
また、解釈がおおむね合っていて、論理的に考えられていたとしても「勝負は時の運」という場面では負けてしまう事もあると思うので、そこらへんはややこしいところかもしれませんけど。
しかし、正解することだけや勝ったことがけをカウントしてそこにだけフォーカスしていれば、こうした相場からのフィードバックに気づくことはないと思います。
間違えた考えでも買ってしまう事はいくらでもあるので、そのような場合には上記のクイズで「これが正解に違いない」と勘違いをする場合と同じように、「自分の答えが合っているに違いないのに!なんてこった!」という確証バイアスにとらわれることになるのかもしれません。
この本を読んで「間違える前提でトライして、そこから学んでいくほうが早く考えを正していけるのではないか?」と自分は考えるようになりました。
3,脳には「非難」がプログラム化されている
我々は、なにか問題が起きると瞬間的に、「なにをやっているのだ!」「なんでこんなことになった!!」という感情が働きがちではないでしょうか。
私はよくあります。
トレードで失敗した時に、自分を責めたり、チャートに対してキレたりするのも矛先が自分なのか、相手(チャートを含め、自分ではない外側の世界なのか)の差はありますが、本質的には同じ「非難のプログラム」が働いていると思います。
結構これがやっかいです。
私の場合、「こんなところでエントリーして、本当に自分はバカだ!!」と自分を罵倒することで、自分をいじめて、勝手にダメージを追って、反省したつもりになって終わりにするというループを長らくやっていたと思います。
でもこれって、結局、堂々巡りをしているだけで何も変わっていなかった。
同じような失敗を繰り返しているという意味では何も変わっていなかったんですよね。
「同じような失敗」という認識すらなかったような気がします。
「あいつが悪い」「こんなことをして、ほんとに何を考えているんだ私(あいつ)は!!」という非難は、結構気持ちが良かったりするのかもしれません。
わかりやすく悪者を特定し、それっぽい原因(避難材料)を見繕って、シロクロつけてちゃんちゃん♪
そこから学ぶ気なんてさらさらなかった。
「そもそもなんでそんなことが起こったのだろう?」と素の状態で考えるにはある程度クールな状態でなければできませんね。
自分もトレードで負けたときは、すぐそのトレードを冷静に分析するなんでまだまだできません。
ではどうすればいいのでしょうか。なにが障害になっているのか。
まとめ
この本では、「非難の例」にかかわらず、紹介される実例のほとんどが個人ではなく、組織や社会であることが多いですが、「トレードに置き換えてみたらどう考えられるだろうか?」という感じで読んでみると、読むたびに発見があるのでした。
日本特有の問題なのか、生き物としての本能なのか知りませんが
失敗は誰にでも負の感覚やマイナスイメージが付きまとうと思います。
でも、じっくりと考えてみると失敗って、むしろ最高の素材になりえるということに気づけると思います。
そして、もしそれに気づいたとしても、依然として失敗には痛みが伴い続けると思います。
しかしそこからどうするかがポイントになってくるし、失敗を失敗で終わらせない工夫や環境づくりも大事なのかなと個人的には思っています。
えらそうにツラツラと書いてきましたが、自分もまだまだ修行の身。
自分もきちんとすべての失敗から学べているわけではないです。
だからこそ、この記事を書いていますし、今後もこの本を読み続けて、自分の習慣や取り組み方を見直し続けていく必要があると思っています。
ありがとうございました。
参考になれば幸いです。